カテゴリ:
今朝の読売新聞の「選挙制度視点3」は、1票の平等を訴えている「一人一票実現国民会議」への宣戦布告となっている。

簡単に言えば、完全比例にすると、どの政党も、 たとえ連立しそうな政権どうしが連立しても、過半数に届かないから、「決められない政治」を常態化させるという主張だ。

読売は、かつてから「集約」と称して2大政党制を主張してきた。
しかし、現実に起きたことは何だっただろう。
2大政党制を実現するために、小選挙区制を導入した結果、「つまらない選挙」が誕生。投票率はだだ下がりだ。中選挙区制の時の候補者どうしの論戦も不調。政治家の質の低下は著しい。

そもそも、「決められない政治」の対局にあるものは、独裁政治である。
一人がすべてを決める。
これが確実に「決める政治」になる。
しかし、この恐ろしさは、誰もがわかるだろう。
一人のリーダーが絶対に信用できるとは限らない。
うまくいくときは絶好調だが、まずくなったら崖下に転がり落ちるのだ。

それがわかるのならば、「一つの政党が決める恐ろしさ」も理解はたやすい。

民主主義のよさというものは、「決められない」という点にこそある。
決められない。すぐに変わらない。変わるとしても少しずつしか変わらない。
これこそが安定の源であって、絶対多数を確保することが安定ではないのだ。

それにしても、こんな主張がまともに出てくるあたりに、今の政治のくだらなさ加減が現れていると言えよう。
すべての人の意見が一致することはない。
右から左まで、あらゆる意見があることは当然なのだ。
それゆえに、「決められない政治」が行われる。
だが、少しずつ変わっていく。
そこに、民主主義の本質があるはずだ。

しかし、現実にどうか。
離合集散を繰り返し、与党になったかと思えば、国民の願いを裏切り、あっちへ走り、こっちへ走り。
選挙公約とはなんだったのか。
政党の看板とは何だったのか。
こんなことを繰り返す政治家が多すぎるから、読売のような主張がまかり通ることになるのだ。

基礎基本に立ち返って、考えてみたらいい。
右から左までいる政治家が、議会で論戦を繰り返す。
それによって、国民は次回の投票を行う。
その結果として、政策が一方に振れすぎれば、次々回選挙では揺り戻しが起きて、元に戻る。
これが正常な政治と選挙の関係だ。
しかし、そんなことが起きたことがあるだろうか。

読売のような主張が出てくることそのもので、政治家の質の低下が問われるのである。